廃屋に生命を!

環境首都で有名なドイツ南西部のフライブルク市近郊、シュヴァルツヴァルト(黒い森)の麓、氷河で削られてできたU字型の底広のドライザム谷に、人口約9700人のキルヒツァルテン(Kirchzarten)村がある。この村の商店街から300mほど離れた場所に、今年始め、新しい「村の中心」がオープンした。

文化財の廃屋をどうするか

新しい「村の中心」ができた場所には、18世紀後半から19世紀始めにかけて建設され、ここ40年あまり放置されていた2つの大きな納屋と水車小屋があった。隣にある小さなお城に付属する建物で、100年前まではここが村の中心部であった。村が所有する築200年以上の3つの古建築は、文化財に指定されていたが、最近は、ときどき野外イベントやお祭りで使用する程度で、廃屋になっていた。この建物を今後どうするか、村行政の大きな課題であった。
2014年、村議会は、3つの廃屋を改修(リフォーム)し、2つの納屋は、村役場の村民窓口、イベントホール、図書館と多目的な空間に、水車小屋は、村のエネルギー・水道会社の事務所にすることを決議した。

市民コミュニティセンターに生まれ変わった納屋
市民コミュニティセンターに生まれ変わった納屋
新しい村役場の村民窓口
新しい村役場の村民窓口

古い建物が壊されるのは自分の故郷が奪われる思い

改修事業の元請けになったのは、村に事務所を置くSutter3(スッター3)社。社長のヴィリー・スッター氏は約30年、シュヴァルツヴァルト地域で、100件以上の古建築の改修を手がけているこの分野のスペシャリストである。1980年代初頭に職業学校を出て工務店や住宅設備工事の会社で数年経験を積んだあと、独立して古建築の改修を開始した。
80年代当時、彼の生まれ故郷のシュヴァルツヴァルトのティティゼー・ノイシュタット市では、住宅ブームで、たくさんの古い建物が壊されて、新築の家が建てられていた。スッター氏にとっては、趣と雰囲気がある古い建物が解体されていくのは、自分が慣れ親しんだ故郷がどんどん奪われるような気持ちだった。少しでも歯止めをかけようと、農家の古い納屋や空き家になっている古建築を見つけては、所有者と交渉し、買取り、改修した。出来上がった建物は、転売するか、もしくは自社で所有して住宅やオフィスとして賃貸する事業を1980年代終わりころから開始した。誰も手をつけようとしない廃屋の建物や文化財に指定され改修の条件も厳しい物件を、丁寧にしかも経済的に改修し、新しく蘇らせていった。

古建築改修のプロフェッショナル ヴィリー・スッター氏
古建築改修のプロフェッショナル ヴィリー・スッター氏

1990年代の末に、ある社会福祉住宅の事業を請け負った際、長期失業者や前科がある人たちに出会った。彼らの人生や抱えている問題に心を打たれたスッター氏は、社会福祉の専門家と一緒に、彼らの社会復帰をサポートするための新たな会社を設立した。誰も好んで受け入れようとしない人たちを、建設業の労働者として雇い、教育・養成した。改修した建物のいくつかを会社で所有し、過去の履歴から住まいを見つけるのも困難な社員や似たような状況にある社会的弱者に安く賃貸している。

古建築リフォームで、適切な省エネ化

キルヒツァルテン村のプロジェクトは、プランニングから建設まで約3年かかった。文化財に指定されている建物の改修の際、もっとも手間がかかるのが、文化財保護局との綿密な打ち合わせと調整作業である。オリジナルのマテリアルをできる限り残すことが要求されるからだ。
スッター氏は、豊富な経験と設計施工上のアイデアで、石の壁や木の梁や柱、内壁板、天井板など、80%を維持することに成功した。基本的にどの古建築改修の事業でも、建物を利用する人たちの健康配慮とマテリアルの耐久性を向上させるために、湿った石の除湿作業、古い梁や柱、板の除虫作業(60℃の暖気で燻す)を施している。窓は、大部分を、最新の断熱性能をもった、古建築にもマッチする木製サッシを取り付けた。光をたくさん取り入れるために、天窓も取り付けている。屋根には、30cmのセルロース断熱材、床天井にも断熱材とコンクリートを入れて、省エネと、防音対策をした。一方、外枠の石壁には、断熱施工はしていない。文化財に指定されている建物は、外観を変えることが法律上制限されており、外断熱はできない。内断熱という方法があるが、結露の問題を起こしやすくなる。
「石壁の調湿呼吸性能を維持するためにも、ここに断熱はしない」とスッター氏。「石壁は分厚く、蓄熱効果がある。屋根と床天井にしっかり断熱し、性能のいいサッシをつければ十分」とスッター氏は言う。
暖房の熱源はペレットボイラーで、建物のエネルギー性能的には、新築の基準に近い、年間の一次エネルギー需要100kW/m2を達成している。機械換気はたくさんの人が出入りする屋根裏のホール以外取り付けていない。
「メンテナンスの手間とコスト、それを怠ることによるバクテリアやカビの発生などの問題があるので、私の事業では機械換気は極力入れない。呼吸する壁材であれば、換気口による自然換気と、窓の開閉による換気で十分」という。

古いものとモダンの心地いい融合

古いものとモダンが融合した心地よい図書館の空間
古いものとモダンが融合した心地よい図書館の空間

かつて納屋として使われていた2つの建物の中をスッター氏に案内してもらった。窓とガラスの仕切り壁で、光を取り入れた明るい空間。200年以上前の石壁とこげ茶色の木の梁や柱、天井や壁板のなかに、白を基調にしたモダンな建具と内装、スマートなデザインのLED照明が、石と木とモダンな建具に柔らかい光を照らす。古い梁や柱は、構造強度を高めるために、ところどころ目立たないように鉄骨で補強されている。古いものとモダンなものが、機能的に絶妙のバランスで組み合わされ、心地よく温かみがある空間を作っている。室内の空気もいい。

一つの納屋は村役場と屋根裏ホール、もう一つの納屋は市民図書館に生まれ変わった。2つの建物の2階部分がガラス張りの橋廊下で繋がれている。階段が設置される公共建築物には、火災保護法の規定により、階段室をコンクリートの内壁で囲って高価な防火扉を各階に取り付けることが義務化されているが、スッター氏は橋廊下を火事の際の避難経路にすることで、コンクリート内壁も防火扉も設置しないで済むようにし、大幅にコストを削減するとともに、区切りがない広くオープンな空間の創出を実現した。
古建築の改修、とくに文化財に指定されているものの改修は、新築以上にお金がかかることが稀ではないが、スッター氏は、長年の経験と奇抜なアイデアによって、ほとんどの事業で、新築より安く抑えている。3つの建物の建具と外の敷地の造成も含めた総工費は680万ユーロ(約9億円)。文化財であるので、村は州から20%の助成金をもらっている。建物の延べ床面積は合わせて約2350平米なので、平米あたりのコストは約2900ユーロ。一般公共建築物の新築のレベルと変わらない。
「これだけの機能と性能を新築で出す場合、平米あたり3200ユーロはするから、むしろ新築より安い」とスッター氏は補足説明する。

新しく生命を吹き込まれた古建築は、村民の心を捉えた

屋根裏の村民ホール
屋根裏の村民ホール

新しい村役場と村民ホール、図書館は、今年1月半ばにオープンしてから、「信じられない。あの廃屋がこんな素晴らしい建物に変わるなんて」と、多くの村民に好評である。
村長のアンドレアス・ハル氏は、「当初、多額の経費がかかるこのプロジェクトの意義に疑問をもっていた一部の村民も、出来上がったものを体感し感銘してくれている」と満足している。
村のお荷物だった廃屋の文化財に、スッター3社を中心とする地域の建設業者によって、新しい生命が吹き込まれ、心地よいコミュニティ空間になった。

現在スッター3社は、50km圏内を中心に、約20件の古建築物改修のプロジェクトを同時並行で行なっている。廃墟だった古建築が、レストランやカフェ、イベントホール、診療所やスーパーとして、次々に生まれ変わっている。

EICエコナビ 連載コラム「ドイツ黒い森地方の地域創生と持続可能性」へ

築300年の建築物の古材から作ったモダンなテーブル

森林浴 Waldbaden

ここ数年、ドイツで頻繁に見聞きする流行りの言葉がある。それは「Waldbaden(=森林浴)」。もともと、日本の林野庁により1982年に提唱された言葉がドイツ語に直訳され、新造語として使用されている。「森林の湯船に浸かる」という比喩的造語は、温泉とお風呂の文化がある日本ならではであるが、温泉スパの伝統があるドイツでも、すんなり馴染みやすい。

森林浴の医学的研究

森林にも温泉と同じような、癒しや健康増進効果があるから「森林浴」という言葉が生まれた。森林が人間の精神と健康に与えるポジティブな効果は、別に目新しいものではなく、様々な文化圏で、昔から経験的に知られていたことであるが、2000年代に入ってからから、日本やアメリカ、ヨーロッパなどで、森林浴効果のメカニズムを科学的に解明する研究が進んでいる。森の匂い、緑の波長、マイナスイオン、小鳥や小川やそよ風のゆらぎ音が、自律神経を安定させ、精神を落ち着かせ、免疫力を高め、様々な病気に対する抗体の生産を促すことが、医学的に証明されている。
日本では、医学的研究をベースに「森林セラピー」という言葉が、2004年に森林浴の発展形として生まれた。NPO法人森林セラピーソサイエティによって、これまで全国63箇所の森林エリアが「森林セラピー基地」として認定され、「健康のための森林浴」が推奨、実践されている。トレッキングや登山で入る他の日本の森林との大きな違いは、森林セラピー基地では、緩やかな勾配の幅広の歩きやすい遊歩道が整備されていることである。車椅子で入っていけるところもある。

ドイツでは、人々が日常的に森林浴

では、森林浴(=Waldbad)という言葉が、ここ数年流行っているドイツではどうなのか。国土面積は日本とほぼ同じ、森林率は約30%で日本の半分以下、そこに約8300万人の人が住むドイツ(日本の7割弱)では、森林浴は、多くの国民にとって日常的な行為、生活の一部になっている。気軽に犬と散歩、ノルディックウォーキング、サイクリング、マウンテンバイキング、乗馬、森林ヨガ、雪山ウォーキングと、森林のリクリエーション利用は多面的だ。森の幼稚園や森林教育など教育的な利用も盛んである。
ではいったい、どれだけの人がどれくらいの頻度で森林保養をしているのか。私が住むドイツのバーデン・ヴュルテンベルク州の森林行政が最近発表した統計によると、人口約1000万人、面積約36,000平方km(長野県の約2.5倍)、森林率40%のこの州で、1日平均約200万人の森林訪問者がある。年間を通した平均値であるので、春から秋にかけて、天気がいい日曜日などは、1日400万人以上の訪問者があることもある。人口の半分近くである。

林業のための質のいい道インフラが、快適で安全な保養空間を創出

質の高い森林基幹道

なぜにこれだけの人が森林に行っているのか。それは、ほぼ全ての森林に気軽にアクセスできる環境とインフラがあるからだ。サンダルでも、車椅子でも乳母車を押しても気軽に入って行ける、幅広で、勾配が緩やかな道が、平地の森にも、起伏がある急斜面の森にもある。この道のインフラは、戦後に、持続的な林業(木材利用)のために整備された。表面は砂利が填圧して敷き詰められたもので、木材を運ぶ大型トラックが走行できる規格で、この質の高い道が、老若男女、体が不自由な人まで、気軽で快適で安全な森林でのアクティビティを可能にしている。
森が支える森林木材産業クラスターは、ドイツでは自動車産業の2倍近くの就業人口(132万人、2005年統計)を抱え、ドイツの地域経済を支える重要な基盤になっている。そしてその森は同時に、人々の心と体の健康を促進する日常生活空間になっている。

道がないから、森は近くて遠い存在

日本は森林率68%の森林に恵まれた国であるが、森林セラピー基地のような快適に安全に歩ける道が整備されている場所は「特別な場所」であって、多くの国民にとっては、森は近くて遠い存在にある。ドイツでは、「特別な場所」がいたるところに、日常的に利用可能なところに面的にある。私は、20年以上ドイツに住んでいるが、このいい森林インフラの恩恵をたくさん受けたし、今でも森林は、私にとって、心を休める、考えを整理する、スポーツをする、山菜やキノコを取る、日常生活の大切な場所である。
私は、森林やエネルギー関係で、時々来日して仕事をしているが、ドイツやスイスからの観光客にホテルなどで出会って会話することがある。日本の文化や伝統建築や食事に感銘し感動している人たちがよく言う「苦情」がある。それは、「森を歩きたい、森でサイクリングしたいけど、道がないから入っていけない」というものだ。せっかく豊富にある観光資源が開かれていない、アクセスできるインフラがない。

地域木材産業、住民の健康と幸せ、観光資源

牧歌的な保養地シュヴァルツヴァルトの風景

私が住むシュヴァルツヴァルト地域は、バーデン・ヴュルテンベルク州の西部にあり、南北に約170km、東西に50~70kmくらいの山岳農村地帯であるが、全体が観光保養地で、気軽に歩ける、スポーツができる森林は重要な観光資源となっている。シュヴァルツヴァルト観光協会が発表している2016年の統計によると、ベット数は16万、宿泊客数は年間800万人、宿泊数は年間延2100万泊もある。観光業は農村地域の重要な副収入源であり、観光業によって質の高い地域の生活インフラが維持されている。森林は、住民だけでなく、観光客にとっても重要なレジャー空間である。

ドイツの2倍以上の森林を所有し、人口も多い日本では、ドイツよりはるかに大きな多面的な森林利用のポテンシャルがある。しかし現在、木材利用にしても、レクリエーション利用にしても、僅かしか使われていない。この豊かな資源を、将来のために持続的に使えるように整備していくことは、地域経済にとって、国民の健康と幸せにとって、大きな意味があることだと思う。

ドイツに倣った高山市の質の高い森林基幹道(© M.Nagase)

岐阜県高山市では、ドイツに倣った持続可能で多面的な森林利用のためのインフラの整備、質の高い森林基幹道の整備が、2011年より進んでいる。その事業のリーダー格である高山林業建設業協同組合の長瀬氏から、2年前、嬉しい写真を見せてもらった。新しく作られた快適な森林基幹道に、犬を連れて散歩している近所の女性が写っていた。その女性は、出来上がった道の確認をしている長瀬氏に遭遇し、「きれいないい道ができていたので、ついつい犬と散歩したくなって入って来ました。いいですか」と尋ねた。長瀬氏は「もちろんいいですよ」と答え、早速道の効果が現れたと嬉しくなり、「写真を撮らせていただいてもいいですか」と断って手持ちのカメラのシャッターを押したそうだ。

「きれいな道だから犬と散歩に来ました」(© M.Nagase)

高山市は、ヨーロッパからの観光客が増えている。彼らが、高山の街中だけでなく、近くの森を気軽に歩き、サイクリングできる環境が整う日もそう遠くない。そういう人たちは滞在型なので、新たな宿泊のインフラや観光コンセプトも必要になってくる。

シュヴァルツヴァルトの職人が制作した木製マウンテンバイク

ドイツのオルガン制作がユネスコ無形文化遺産に!

ドイツには、古くからオルガン製作の伝統があります。現在でも、約400社のオルガン工房が存在し、約2800人が働いています。製作されているのは、肩に下げて持ち運びできる数十万円のものから、数億円する大きな教会のパイプオルガンまで様々です。既存のオルガン台数は約5万台。世界でもっともオルガン密度が高い国です。

私が住む人口2万人のヴァルトキルヒ市は、オルガンの町で、全盛期の20世紀初頭は、25 の工房がありました。現在でも6件の工房があり、約30人あまりがオルガン製作に従事しています。10数名が働くヴァルトキルヒの一番大きな工房イェーガー&ブロンマー社には、岩手中小企業同友会の視察団の方々も2度訪問されています。そこの共同経営者の一人ブロンマーさんから、2017年の12月始めに 「ドイツのオルガン製作とオルガン音楽が、無形文化財として、ユネスコ世界遺産に選ばれた!」嬉しいメニュースレターが届きました。

オルガンは、設置する場所の空間、音響、室内の湿度や依頼者の予算に合わせて、個別にデザイン設計し、製作されます。 メインの材料は「木」で、木材のなかでも高品質な部分、肉で言えば、極上ヒレや極上ロースの部分が使用されます。オルガン職人の精巧な木材加工技術と音に関する繊細な感覚で製作されます。ドイツは職人の国でもありますが、オルガン製作は、そのなかでも最高峰の技術と技能が求められるもので、ユネスコ世界遺産に選ばれるだけの品格をもった手工業職です。

手に職を持つ、ということは、社会から認められることであり、活動の可能性を広げ、喜びや自信、生き甲斐をもたらすものです。

ドイツのオルガン製作者は、その製品を世界に輸出しています。ヴァルトキルヒのブロンマー氏の会社も、盛んにアジア方面へ輸出しており、日本へも、過去10年間で6台のパイプオルガンを輸出。現在も、東京市ヶ谷の番町教会から依頼されたパイプオルガンを製作しています。製作は約1年がかり。工房で組み立てたものを、一旦解体し、コンテナに積んで船で日本へ輸送。その後、現地の教会での組み立て調律作業に4週間。2018年末までに現地引き渡し完了の予定です。ブロンマー氏は「日本は食べ物が美味しい。言葉が不自由でも、音楽が人を結んでくれる」と再来日するのを楽しみにしています。伝統的な職能が、人と国を繋ぎます。

岩手中小企業家同友会の会報「DOYU IWATE」の連載のコラム2018年2月号より

ハンドメイドのストリートオルガン Jäger & Brommer社

農のある暮らし


雪が降ったかと思うと次の週には雨が降り、その後比較的暖かい日が続き、もう冬は終わりかなと思った2月末に、マイナス10度を下回る寒波がやってきて、次の週にはまた春日和の天気になる、というふうに、今年のドイツは不安定な冬でしたが、3月も半ばに差し掛かったここ数日は、鳥のさえずりも聞こえはじめ、草木の芽ももうすぐ芽生え始めそうな雰囲気になってきました。春の息吹が聞こえてきます。

私の家族は昨年の3月に、10年前から住んでいるヴァルトキルヒ市内で、郊外の一軒家に引っ越し、敷地内の8畳ほどの小さな畑ですが菜園を始めました。昨年は、引っ越してすぐでいろいろ忙しく、家族のメンバーが、植えたいもの、食べたいものを、無計画に無作為にごちゃ混ぜに植えました。森林学で学んだ「多様性はリスクを分散させる」の原則に則って(あとで付けた理屈ですが)。多少は虫に食われましたが、思った以上に野菜やハーブは育ち、子供達と我が家の食卓を喜ばせてくれました。生態学的には、植物には相性があるようです。例えば、キャベツ類とトマトを一緒に植えると、キャベツに蝶の幼虫がつきにくくなり、トマトの葉っぱが菌類による病気になるのを抑えられます。逆に相性の悪い組み合わせもあります。お互いに悪い影響を与え合うものです。例えば、キュウリは、ジャガイモと相性が良くないようです。

今年は、本も揃えましたし、前もって勉強し、コンセプトを作って計画的に植えて育てようと思っています。立派な菜園を持つ経験豊かな隣のおじいさんが、数日前から畑仕事を始めました。私たちもそろそろ苗床の準備に取り掛からなければなりません。

田舎では土地がありますが、都市部で限られています。庭を持てない都市住民には、伝統的には、鉄道の空き地などで「市民農園」があります。希望する家族や個人に決まった区画が安い賃料で与えられています(人気があり数年の待ちがあります)。賃貸人にとっては、土と植物に触れ、リラックスできる重要な生活空間です。一方で、ここ10数年、総称で「アーバンガーデニング」と名づけられている新しいタイプの市民農園が増えています。区画分けをしないで、メンバー共同で一つの菜園を管理運営する、というものです。そこでは、人と人の「交流」がテーマです。定期的に小さな催し物やイベントも開催されています。移民が多い都市部では、異文化交流、異文化理解の場になっています。人口350万人のドイツの首都ベルリンには、30箇所以上のアーバンガーデニング農園があります。コンクリートと砂利の空き地の上に、移動可能な高床式の畑をつくり、屋外レストラン&カフェを運営している農園もあります。

岩手中小企業同友会 会報「DOUYU IWATE」2018年4月号より

手押し農耕機 −人と環境を助けるスマートな道具

森林作業の安全④ チェーンソー防護ズボンの機能、手入れ、耐用年数

鎧とスポーツウエアのバランス

チェーンソー防護ズボンは、もっとも危険な職業の一つに挙げられる森林作業で、作業士を怪我や事故から守るな主要な装備です。

防護ズボンには、チェーンソーの刃が当たる確率が多い場所である足の前面から左後ろにかけて、切断防止繊維層が埋め込まれています。回転するチェーンがズボンに当たった際、繊維層がチェーンに絡みつき、チェーンの回転を止め、足が傷つくのを防ぎます。

チェーンソー防護ズボンの切断防止繊維層の面(タイプA)

防護ズボンの切断防止機能には、ISO 11393(国際標準化規格)、EN 381-5(欧州規格)、JIS T 8125(日本工業規格)などがありますが、欧州規格においては、下記の4段階が定められています。

  • クラス1 20m/秒
  • クラス2    24m/秒
  • クラス3    28m/秒
  • クラス4  32m/秒

大半のチェーンソー防護ズボンは、クラス1です。その理由は、切断防止性能を高めると、繊維層が分厚く重くなり、快適さ、動きやすさを妨げてしまうからです。「鎧」の機能と「スポーツウエア」の機能のバランスを求めてのものです。ズボンの快適性や軽量さも、切断防止性能と同様に、安全性の重要な要素です。重く動きにくい防護ズボンは、作業士の瞬時の動きを鈍らせ、疲れや集中力不足を促進させ、怪我や事故の原因になります。

プロのズボンは、定期的な洗濯を! 

切断防止性能は、作業環境や頻度、時間などの要因によって劣化が起こります。

まず「汚れ」は劣化の大きな原因です。チェーンソー油や木の脂(ヤニ)は、切断防止繊維に腐食ダメージを与え劣化させますので、汚れたチェーンソー防護ズボンは、頻繁に洗濯することが勧められています。

毎日使用するプロの森林作業士は、通常2週間から3週間に一度、ズボンを洗濯しています。洗濯の際は、メーカーが指定する方法を厳守することが重要です。多くの場合、洗濯水の水温は30~60度が指定されています。柔軟材は、切断防止繊維にダメージを与えてしまうので、使用することは勧められません。洗濯機の脱水機能の使用は控えるべきです。高速回転させることで、切断防止繊維層が偏ったり形状が変化したりする恐れがあるからです。また乾燥は、屋外、屋内に干して自然に行うことが重要です。乾燥機による機械乾燥は繊維にダメージが与えられます。

「洗濯によって、切断防止性能の劣化が起こるので、頻繁に洗わないほうがいい」という意見も以前ありましたが、ここ数年の研究機関(Rottenburg林業大学校など)の試験によって、25回の洗濯のあとも、大きな性能の劣化はない、という結果がでてきます。洗濯によって切断防止繊維が若干収縮するので、返って切断防止性能が高くなる、という結果もでています。ただし、繊維層が収縮する分、カバーする防護面積が少なくなり、それだけ防護機能が減少するということも言えます。収縮率は、ズボンや繊維層の種類によりますが、50回の洗濯(脱水なし)で、5-13%程度です

耐用年数は、プロ1~1.5年、アマチュアは5年

チェーンソー防護ズボンの耐用年数は、製品の種類や品質により違いがありますが、毎日使用するプロの作業士のズボンであれば、目安として、20から25回の洗濯、12から18ヶ月が提示されています。年に数回しか使用しないアマチュアの防護ズボンであれば、5年間が目安です。

防護機能アウト→交換!

チェーンソーの刃がズボンに当たり、防護繊維が絡みついた場合は、それが僅かな切れ目であっても、切断防止繊維層が変形損傷し、性能が確保できなくなっていますので、そのズボンは防護ズボンとしては使えません。また枝や棘などで、ズボンの内部の切断防止繊維層に形状変化や損傷加えられた場合も、切断防止機能が確保できなくなりますので、すぐに新しいズボンに交換する必要があります。

Timbermen チェーンソー防護ズボン 311
 Timbermen チェーンソー防護靴 718


ヤギのルネッサンス

自給型の小さな農業が主流であった20世紀前半は、多くの南ドイツの農家はヤギを数頭飼って、そのミルクを自分で飲んでいた。しかし戦後、経済復興に伴い農業が合理化され、自給型から販売型へ転換すると、ヤギの頭数は激減した。農家は乳牛を増やし、ミルクを町の工房や工場に販売するようになった。
牛の乳量は当時、1日約20リットル、ヤギは4リットル程度。今日では、品種改良や餌の高栄養化により牛の乳量は1日50リットルを超える。生産効率も販売量も圧倒的に牛が有利である。「ヤギは、貧乏人の牛」と50年代当時言われるようになった。ヤギミルクは、街で牛乳を買えない貧乏人が自分で絞って飲んでいるもの、と。
しかしここ20年あまり、ヤギの乳製品が再び注目を浴び、生産量が増加している。ヤギミルクは、牛乳に比べ、ビタミンやミネラル分が多く、低カロリーで、消化がいい。またチーズは独特の香りがある。「健康」で「グルメ」な乳製品、と過去のイメージからガラリと変わった。価格も牛の乳製品より1.5倍から2倍高い。ヤギのルネッサンスが起こっている。

デザイナーがヤギチーズ農家として起業

手工業的チーズ工房
手工業的チーズ工房

シュヴァルツヴァルト南西部の麓のTenningen村の工業団地に、Monte Ziego(モンテ・ツィーゴ)という社名のチーズ工房がある。周辺10数件のエコ農家からヤギミルクを仕入れヤギチーズを手工業的に生産し、スーパーなどに販売している。オーナーのBuhl(ブール)氏は、元画家・デザイナー、ベルリンでディスコの内装デザインの仕事をしていた。2000年、シュヴァルツヴァルトのシュッタータール村に引っ越すと、そこで2匹のヤギを飼い、「Demeter」のエコ認証を取り、チーズ作りを始めた。大きな生活転換の理由は、単純にヤギ飼育とチーズ作りに以前から興味があったから。チーズ作りのノウハウは自学し、独自のレシピを開発し、生産、直売をした。彼のチーズは、ニッチ製品として通の間で評判を呼び、数年の間にヤギの数も2頭から40頭に増えた。
同時に「エコ」と「健康」に関する消費者の意識の高まりを受け、一般小売市場でのヤギの乳製品の需要も高まっていった。Buhl氏は、生産量に限りがある一農家のヤギチーズ生産・直売を脱皮し、契約農家からミルクを仕入れ、大きな工房でチーズを生産し、スーパーなどに販売する事業転換を決断。2010年に180万ユーロの投資で最新設備のチーズ工房を建設し、一般小売市場向けの生産を開始する。工房が大きくなってもBuhl氏は、品質を求め手工業的な生産にこだわった。大量生産の工場生産のチーズとは風味や食感が違う。エコ認証を受けたミルクによる手工業的生産であるため、量産品と比べ価格は2倍以上であるが、市場での人気は高く、生産量は、年々30%程度の急成長を遂げた。

高い乳価を設定し、酪農家の転換を促す

市場からの高い需要に応えて生産量を伸ばすためには、ヤギミルクを供給する契約農家を増やさなければならなかった。当初、数件の農家から始めたものが、現在12件の契約農家に増えた。一件あたり20匹から200匹のヤギを飼っている。全てDemeterのエコ認証を受けている。
社長のBuhl氏は、ヤギミルクの仕入れ単価を、当初から牛乳の2倍以上に設定し、周辺の乳牛酪農家に、牛からヤギへの転換を促して行った。乳牛酪農家は、ヨーロッパでの牛乳の過剰生産とそれに伴う乳価の低迷により、ここ10年以上、経営が困難な状況に陥っている。農家が牛乳工場に支払ってもらえる乳価は、ここ数年1リットルあたり20~30セント(26円から39円)で推移している。普通に経営していくためには40セントは必要だと言われている。酪農家は、EUの直接支払い補助金に頼ってなんとか経営を続けている状況である。過去数年で小さな乳牛酪農家の多くが、経営的に厳しくなり牛乳生産を辞めてしまった。
ミルクを高く買ってもらえるヤギ酪農に転換することは、牛乳価格の低迷で苦しむシュヴァルツヴァルトの小さな農家が経営を継続するための将来の展望でもある。現在、Monte Ziego社が農家に支払う単価は1リットル86セント。ドイツでもっとも高い買取価格である。「意図的に一番高い価格にして、それによって転換を促したい」と社長のBuhl氏は地方紙のインタビューで話している。ただしヤギは、1匹あたり1日4リットルと、牛1頭の10分の1の量しか生産しない。また冬場は乳量が少なくなる。よって農家の決断はそう簡単ではない。
観光保養地でもあるシュヴァルツヴァルトの美しい農村景観は、森林と牧草地と点在する農家の建物の3要素で成り立っている。酪農、林業、民宿業と複合的な経営を行っている家族経営の農家は、農村景観と観光業のために欠かせない。Monte Ziego社は、ヤギチーズを生産することによって、シュヴァルツヴァルトの農業と文化、景観を維持発展することに寄与することを企業目標の一つとしている。体の小さいヤギは、牛が立てない急斜面の牧草地の「景観管理(草刈り)」もしてくれる。

手工業的なエコ製品と乳清のエネルギー利用

フレッシュチーズ
フレッシュチーズ
ハーブ入りフェタチーズ
ハーブ入りフェタチーズ

現在、12の契約ヤギ農家の合計約12,000匹のヤギから年間80万リットルのヤギミルクがチーズ工房に出荷されている。工房では、20種類以上のヤギチーズが生産され、約20人の従業員が2交代で働いている。オリーブやチリを入れたフレッシュチーズや、バーベキューで焼いて食べるフェタチーズなどが人気の商品である。工房の責任者でチーズマイスターのバルマイヤー氏に中を案内してもらった。最新設備であるが、型をひっくり返したり、チーズの上にハーブを撒いたりする作業など、きめ細かに、人の手によって行っている。「品質の高さと多品種は、手工業的な生産だからできる」と誇りをもってマイスターが話してくれた。製品は、過去数年で様々な賞を受けている。

乳清バイオガスタンク
乳清バイオガスタンク

エコ製品を製造しているこの工房であるが、製造に必要なエネルギーにおいても「エコ」を追求している。工房の屋根には最初からソーラーパネルを設置しエコ電力を生産、2014年には、製造の過程で生じる乳清(ホエー)を使ったバイオガスエネルギー装置を設置し、世界初のゼロエネルギーチーズ工房を達成した。乳清(ホエー)とは、チーズを作る際に、牛乳から乳脂肪やガゼインというチーズの原料が取り出されたあとの残りの水溶液である。多くのチーズ工房や工場では、これが廃棄物として処理されているが、高たんぱく質、低脂肪で、栄養価、エネルギー価は高く、食品、豚の餌、化粧品などとして利用されているケースもある。Monte Ziego社は、この副産物をエネルギーとして利用することに決めた。年間1,170m3のホエーから、4万8,000m3のバイオガスが生産され、それが電気出力18kW、熱出力36kWのタービンで燃やされ、工場での電気、熱源(冷蔵庫も)として使用されている。熱は自給できており、電気は足りない時間帯はエコ電力会社の電気を購入しているが、バイオガス装置が動いていて工房が生産していない夜間は余剰電力を売っているので、年間収支ではプラスになっており、だからゼロエネルギー工房である。

現在この工房は、隣の空き地に、粉ミルクを製造する工場を建設している。赤ちゃん用の健康なエコの粉ミルクとして販売される予定である。隣のスイスの販売業者からの需要に応えたものだ。現在の数倍の量のヤギミルクが必要になるが、それは、納入範囲を現在の50km圏内から300km圏内くらいに広げて対応する予定だそうだ。

EICエコナビ 連載コラム「ドイツ黒い森地方の地域創生と持続可能性」より

手押し農耕機 ー農家やガーデナーをサポートするエコでスマートな農具

ドイツの職人養成 デュアルシステム ④マイスターは現場の教師

中世のツンフト(同業者の組合)が取り仕切っていた手工業職人の養成においては、マイスター(親方)が唯一の教師であった。徒弟は、マイスターと一緒に仕事をしながら、職人試験に必要とされる技能を学んでいた。それだけでない。徒弟の多くは、修行期間中、マイスターの家族の一員として、寝食を共にしていた。マイスターは、仕事でもプライベートでも、徒弟の師匠であった。

今日においては、企業と学校が二元的に見習生(徒弟)を養成するデュアルシステムがあるが、企業で、「現場の教師」として実践的な職人養成を担当するマイスターは、依然としてドイツの職人養成の中核的な存在である。手工業会議所と国が定める職種別の「職業養成規則」に書かれている養成プランに応じて、普段の仕事のなかで、見習生に適切に課題を与え、個々人の特性と性格を見極め、的確にサポートし、見習生が自己学習能力と問題解決能力を身につけるよう促していく。相手は大半が17歳前後の難しい年頃の若者である。教育者としての資質とノウハウが必要とされる。

1800時間のマイスター養成コース

マイスターになるには、ゲツェレ(職人)の資格を取得したあと、最低2年間の職業経験を積んだのち、手工業会議所や国(州)が開催するマイスター養成コースに通い、国家試験を受け合格しなければならない。マイスターコースは、1年から1年半の集中コースや、週末メインの数年に渡るコースなどあるが、授業(講義・実習)時間は、木大工マイスターコースで合計1800時間。技術の理論と実技から経営学、組織マネージメントまで、最高峰の技術者、経営者になるための養成を受けるが、教育者としての知識とノウハウを身につける授業も120時間(5〜6週間)、しっかりと組み込まれている。

マイスター称号は誇りであり、会社の品質表示

「マイスターは空から落ちてくるものではない」という言葉があるが、素質がある優秀な職人が、相当な勉強とトレーニングをし、取得するものである。マイスターは、職人の最高資格者、経営者、教育者として、ドイツの社会では、今日でも高く評価されている。どこの会社でも、経営者や幹部職員が取得した「マイスター証書」が、目立つ場所に誇らしげに掲げてある。会社とその商品、サービスのクオリティを保証し、顧客に信頼感を与えるものであるから。

私は、日本からの視察団とドイツの会社を訪問する機会が多いが、ドイツの経営者が「私の会社には、従業員20人のうち、マイスターが3人いて、見習生が6人います」といった会社紹介をすることがよくある。それは「自分の会社の技術と経営レベルは高く、同時に若い世代の育成もしっかり行なっている健全な会社です」ということを暗に伝えている。

ドイツ政府はマイスター復権で手工業職人の増加を目指す

ドイツの手工業職は130以上あり、そのうち、会社を設立する際にマイスター称号を所有していることが法律で義務付けられている職業が41職種ある。消費者保護と安全の観点からそうされている。木大工職やパン職人などがそれに属する。2003年以前は94職種あったが、EUが目指す自由競争と価格安の政策により、当時のドイツ政府は、53職種をマイスター義務から外した。それによって建設業では、規制緩和されたタイル貼り職や内装職で、マイスター称号なしで独立する事業者が増加した。一方で、それらの職種で「仕事の品質が低下した」「見習生を受け入れられる会社が少なくなった」という意見を手工業業界からよく聞く。

ここ10年あまりで手工業職の人手不足が続いている。ドイツ政府は昨年から、一度マイスター義務を緩和した職種のいくつかを、もう一度義務化し、手工業職の知名度と品質を向上させ、見習生を増加させることを目指す政策提言している。「再び規制をかけることは経済に逆効果」という経済界の声もあるが、高い品質と人材養成を重視するドイツ手工業連盟(ZDH)は、これを歓迎している。

 ドイツの鍛治職人が一枚の鉄板から作った悦品

ドイツの職人養成 デュアルシステム ③放浪の旅

「聡明な人は、旅を通して最高の自己形成をする」

ドイツの有名な作家ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの言葉である。

ドイツの手工業職人の世界には、中世のころから続いている伝統的な風習がある。「Walz(ヴァルツ)」と呼ばれる「放浪の旅」である。職人は、ゲーテの言葉どおり、旅を通して自分の腕と心を磨く。

旅職人の伝統と規則

旅をするのは、3年間の職業養成を終了し、ゲツェル(職人)の称号を取得したものである。中世のツンフト(=同業者の組合)制度では、放浪の旅は、マイスターの試験を受けるための義務であった。現在では、放浪の旅は、職人の自由意志に基づくものであるが、主に大工や建具職人など建設業関係の職人たちが、昔からの伝統を継続している。

職人の放浪の旅には昔から、前提条件と規則がある。ゲツェルの称号を持った職人で30歳以下、未婚であること。負債や前科を持っていないこと。旅の期間は通常3年間と1日、その期間中、基本的に故郷の50km圏内に戻ってきてはいけない。移動は基本的に徒歩とヒッチハイクで、公共交通の利用は禁止ではないが、好ましくない。遠い外国に行く際の飛行機の利用は許可されている。旅の最中は、職種別にある伝統的な作業着を身につけていなければならない。大工の場合は、黒い帽子、襟のない白いシャツに黒のコードジャケットとズボン。木製の杖を持ち、それに「シャルロッテンブルガー」という身の回り品が入った巾着袋を結びつける。一般の人が、一眼で「旅職人」と認識できる装いでなければならない。というのは、彼らの移動や寝泊まりは、旅先の他人の好意に頼ることになるからである。見ず知らずの人に安心感を抱かせなければならない。「誠実」であることは、旅職人の世界では、放浪の旅という伝統を継続するための大切なことであり、そのために、負債や前科がないという前提条件を満たした職人が、伝統的な衣装を身につけ、誠実な振る舞いに心がける。放浪の旅をする職人は、通常「シャフト」と呼ばれる同友会のメンバーになる。複数の同友会があり、それぞれで、細かなルールやしきたりがある。旅をするのは伝統的には男の職人だけであったが、戦後は、女性の旅職人も許可をするシャフトもできた。

ユネスコ無形文化財に登録された「放浪の旅」

旅職人は、見しらぬ場所に行って、建設現場などに飛び込み、仕事がないか問い合わせる。または、シャフトのネットワークで、仕事を探していく。基本無償で労働を提供し、そのかわり雇い主に住まいと食事を提供してもらう(最近は報酬をもらって働く場合が多くなっている)。1箇所にどれだけいるかは、その現場の仕事量や本人の意思次第。放浪の旅の意義は、自分の生まれ故郷とは風土も文化も違う場所で、異なる技術や仕事の仕方、考え方を学んで自分の技能を高めること、そして苦労をしながら冒険的な旅をすることによって人間性を養うことである。ツンフト(=同業者の組合)で、マイスター試験を受けるための前提として放浪の旅を義務付けていた中世の時代は、親方(マイスター)が、自分の将来の競合を自分のエリアの外に追い出す、という意味合いもあったようだ。

ドイツにおける職人の放浪の旅(ヴァルツ)は、2015年、ユネスコの無形文化財に登録された。現在でも、大工を中心に、推定600人くらいの職人が、旅をして腕と心を磨いている。日本の宮大工のもとに修行にくるドイツの大工職人もいるようだ。旅をした職人は、雇い主からの評価が高い。好んで雇用される傾向がある。苦労と冒険の旅をして、知識と技術と人間性が豊かになっているので。特に地域密着で営業をしている小さな工務店では、顧客とのコミュニケーション能力、信頼関係は、大切なベースであるから。

       古材テーブル Peitho

ドイツの職人養成 デュアルシステム ②木大工職人の養成

木」の職業は人気

「今の若者の多くが、体を使う、汚れる仕事でなく、机に座ってやる仕事に就きたいと希望している」とシュヴァルツヴァルトの職業学校で木材工学を教える私の友人のシュラッター先生はいつも残念そうに話す。ドイツでは、長い間大学進学率が30%前後であったが、10年くらい前から急に上昇し、2011年以来、50%を超える数字で推移している。石大工や金属加工、左官の職の見習生の数は、ここ数年減少の一途を辿っているようだが、木大工や建具職人など、「木」に関わる職業の見習い生は、一定のレベルを保っており、手工業職の中でも人気があるようだ。

ドイツ木大工マイスター連盟の統計によると、木大工の見習い生の数は、2013年の6903人から2017年には7280人と、毎年2%前後の上昇傾向にある。雑誌や新聞などのインタビュー記事によると、「木が好きだから」「小さいころから木工が趣味で」といった、木というマテリアルに対する愛着によって、多くの見習い生がこの職業を選んでいるようだ。

自ら仕事を計画し、実行し、検査できる職人を養成

ドイツでは、早くて16歳から職業見習いとして手工業職の養成コースに進むことができる。期間は通常3年間、見習生は、自分が就きたい職業分野の企業を自ら見つけ、見習い(徒弟)契約を結び、それをもって職業学校に入学手続きをする。職業養成は、時間的には企業での実践的な訓練が6〜7割、残りが学校という配分になる(=デュアル職業養成システム)。見習い生といっても、実際に企業で労働を提供するので、一定の給料も支給される。木大工の場合は現在、1年目で平均月給が650ユーロ、2年目で900ユーロ前後、3年目になると1200ユーロ前後が相場である。

養成の枠組みと内容は、手工業職の場合、手工業会議所と国が定める職種別の「職業養成規則」に基づいている。この規則の第三条に、職業養成の「目的」が記されているが、そこで「とりわけ重要」だと明記されているのが、「自ら仕事を計画し、実行し、検査する」ことができる人材を養成することである。これは、ドイツの教育全般に共通することで、これができる「自立」した人材がブルーカラーでもホワイトカラーでも養成されていることが、ドイツの企業の高い問題解決能力、応用力、イノベーション力、労働生産性を根底で支えている。計画・実践・検査の能力は、同じ現場がひとつもない、全て個別事情の仕事をする木大工職人には、とりわけ重要なものである。

職人(ゲツェレ)になるための包括的な卒業試験

「職業養成規則」には、職業別に3年間の養成枠組みプランが書かれている。そこには、複数のテーマ(項目)があり、項目ごとに、具体的な習得内容の箇条書があり、何年目で、どのテーマにどれだけの時間を費やす、ということが具体的に明記されている。例えば、木大工の職では、最初の1年目で「雇用契約」「会社組織」「作業安全」「環境保全」「受注から計画、実践」「作業現場の準備」「資材の確保と保管」「設計図面の解釈とスケッチ」「測量」「木材加工」「断熱材の施工」「ファザード施工」など基本的な知識と技術を学び、2年目になると、「受注、仕事量の推定とプラン、工程表の作成」「資材の選択と準備保管」「基礎地盤の確認、検査」「品質管理のための作業日報の作成」といったものが加わる。3年目になると「基礎工事と外壁施工」「木材加工機械の操作とメンテナンス」「既存の構造材の維持メンテナンス」が加わり、それまで学んだことの復習と補強が行われる。

1年半目で中間試験、そして3年目の終わりに卒業試験がある。卒業試験は、8時間の実技試験と、「木構造」「建築資材」「経済・社会」の3分野の筆記試験(それぞれ60〜180分)から成り立っている。実技では、受験者は、屋根の構造材や階段の模型作成の課題が与えられ、その課題内容に応じて、自ら設計し、工程計画を立て、完成品の検査を行う。そのなかで、労働安全や作業者の健康、環境保護の側面も考慮しなければならない。組手や加工の機能性と精度など技術的側面から、労働法や環境規制を踏まえた上での複合的な仕事の計画・遂行・検査能力が試験される。この実技試験と3分野の筆記試験に合格すると、一人前の職人(ゲツェレ)としての称号がもらえ、正規の従業員として企業で働くことができる。

  シュヴァルツヴァルトの職人の手作り
       木製ロードバイク

ドイツの職人養成 デュアルシステム ①歴史と今後の行方

職人の国ドイツには、養成システムという、企業と学校で「デュアル(=二元的)」に職業人を養成する伝統的な職業養成制度がある。ドイツの高い技術力、ハイクオリティの製品、強く安定した経済力を根底で支えている制度だ。

徒弟 − 職人 − マイスター

ドイツの職人養成の起源は中世13世紀ころにある。中世都市の発展とともに、手工業が栄え、手工業者の間で、「徒弟」、「職人」、「マイスター」という3つの階級身分が成立し、マイスターが徒弟と職人を育てていた。また同時に、各都市で、同業者の組合「ツンフト」がつくられた。このツンフトが、徒弟と職人の実践的な養成の内容と枠組みを決め、徒弟が職人、職人がマイスターの称号をとるための試験を企画、実施した。

ツンフト →  イヌング →  手工業会議所

ツンフトによる手工業職の養成制度は数百年続くが、19世紀の産業革命により大規模な工業的生産が普及すると、生産性と効率、営業の自由が求められるようになり、それらに反するツンフト制度は解体されていき、1869年に法的に廃止された。しかし手工業者たちは、イヌングという新たな同業者組合の設立運動を起こし、国の理解と支援も受けるようになり、多様な業種の同業者組合イヌングを大きく取りまとめる手工業会議所という公益法人が設立される。そして1897年の手工業法によって、手工業会議所が、正式に、職人の教育と階級試験を取り仕切る機関となった。また同時並行して、職人に理論的な教育を実施する学校施設も設立され始めた。現在のデュアル養成システムという、全国統一的な国家制度となったのは、1953年の手工業条例と1969年の職業養成法の制定からである。

国際的に高い評価

経済界と国がしっかりタイアップし、教育の中身と枠組みを決め、共通の理論的ベースに実践的能力も備えた即戦力になる人材を養成するデュアルシステムは、スイス、オーストリアにもあり、国際的にも高く評価されている。欧州のなかでドイツの若者の失業率が低いことの大きな理由がこの人材養成システムにある。一方フランスでは、国の学校施設でのみの職業教育であり、現場との距離、実践経験のなさが問題視されている。また企業での実践的な教育に大きく頼るイギリスのシステムにおいては、養成される人材の知識と能力にばらつきがあることが指摘されている。国によるこれらの違いは、EU圏内での労働者の流動性ということで問題になっている。とりわけドイツの養成システムは、包括的で高レベルなため、そのレベルを落とし、EUの他の国のものに近づけるべきだ、という要請や意見もある。しかし、国と一緒に職人の教育を司るドイツの手工業会議所は、信念をもって頑固にその伝統と品質を維持しようとしている。

手工業分野の徒弟(見習生)は、3年の職業養成期間の大半の時間を、企業で、先生である親方(マイスター)のもとで過ごすので、そこで強い人間的な結びつきも生まれる。企業にとっては、将来の正規社員を育てる、見定める期間であり、優秀な見習生は、養成期間終了後にそのまま雇われることが多い。もちろん、見習生がその企業にそのまま社員として残るかどうかは当人の自由意志であるが、3年間で会社と従業員のこと、仕事の中身も知っているので、正社員への移行はスムーズである。

   職人が作った製品、職人を助ける道具