ヤギのルネッサンス

自給型の小さな農業が主流であった20世紀前半は、多くの南ドイツの農家はヤギを数頭飼って、そのミルクを自分で飲んでいた。しかし戦後、経済復興に伴い農業が合理化され、自給型から販売型へ転換すると、ヤギの頭数は激減した。農家は乳牛を増やし、ミルクを町の工房や工場に販売するようになった。
牛の乳量は当時、1日約20リットル、ヤギは4リットル程度。今日では、品種改良や餌の高栄養化により牛の乳量は1日50リットルを超える。生産効率も販売量も圧倒的に牛が有利である。「ヤギは、貧乏人の牛」と50年代当時言われるようになった。ヤギミルクは、街で牛乳を買えない貧乏人が自分で絞って飲んでいるもの、と。
しかしここ20年あまり、ヤギの乳製品が再び注目を浴び、生産量が増加している。ヤギミルクは、牛乳に比べ、ビタミンやミネラル分が多く、低カロリーで、消化がいい。またチーズは独特の香りがある。「健康」で「グルメ」な乳製品、と過去のイメージからガラリと変わった。価格も牛の乳製品より1.5倍から2倍高い。ヤギのルネッサンスが起こっている。

デザイナーがヤギチーズ農家として起業

手工業的チーズ工房
手工業的チーズ工房

シュヴァルツヴァルト南西部の麓のTenningen村の工業団地に、Monte Ziego(モンテ・ツィーゴ)という社名のチーズ工房がある。周辺10数件のエコ農家からヤギミルクを仕入れヤギチーズを手工業的に生産し、スーパーなどに販売している。オーナーのBuhl(ブール)氏は、元画家・デザイナー、ベルリンでディスコの内装デザインの仕事をしていた。2000年、シュヴァルツヴァルトのシュッタータール村に引っ越すと、そこで2匹のヤギを飼い、「Demeter」のエコ認証を取り、チーズ作りを始めた。大きな生活転換の理由は、単純にヤギ飼育とチーズ作りに以前から興味があったから。チーズ作りのノウハウは自学し、独自のレシピを開発し、生産、直売をした。彼のチーズは、ニッチ製品として通の間で評判を呼び、数年の間にヤギの数も2頭から40頭に増えた。
同時に「エコ」と「健康」に関する消費者の意識の高まりを受け、一般小売市場でのヤギの乳製品の需要も高まっていった。Buhl氏は、生産量に限りがある一農家のヤギチーズ生産・直売を脱皮し、契約農家からミルクを仕入れ、大きな工房でチーズを生産し、スーパーなどに販売する事業転換を決断。2010年に180万ユーロの投資で最新設備のチーズ工房を建設し、一般小売市場向けの生産を開始する。工房が大きくなってもBuhl氏は、品質を求め手工業的な生産にこだわった。大量生産の工場生産のチーズとは風味や食感が違う。エコ認証を受けたミルクによる手工業的生産であるため、量産品と比べ価格は2倍以上であるが、市場での人気は高く、生産量は、年々30%程度の急成長を遂げた。

高い乳価を設定し、酪農家の転換を促す

市場からの高い需要に応えて生産量を伸ばすためには、ヤギミルクを供給する契約農家を増やさなければならなかった。当初、数件の農家から始めたものが、現在12件の契約農家に増えた。一件あたり20匹から200匹のヤギを飼っている。全てDemeterのエコ認証を受けている。
社長のBuhl氏は、ヤギミルクの仕入れ単価を、当初から牛乳の2倍以上に設定し、周辺の乳牛酪農家に、牛からヤギへの転換を促して行った。乳牛酪農家は、ヨーロッパでの牛乳の過剰生産とそれに伴う乳価の低迷により、ここ10年以上、経営が困難な状況に陥っている。農家が牛乳工場に支払ってもらえる乳価は、ここ数年1リットルあたり20~30セント(26円から39円)で推移している。普通に経営していくためには40セントは必要だと言われている。酪農家は、EUの直接支払い補助金に頼ってなんとか経営を続けている状況である。過去数年で小さな乳牛酪農家の多くが、経営的に厳しくなり牛乳生産を辞めてしまった。
ミルクを高く買ってもらえるヤギ酪農に転換することは、牛乳価格の低迷で苦しむシュヴァルツヴァルトの小さな農家が経営を継続するための将来の展望でもある。現在、Monte Ziego社が農家に支払う単価は1リットル86セント。ドイツでもっとも高い買取価格である。「意図的に一番高い価格にして、それによって転換を促したい」と社長のBuhl氏は地方紙のインタビューで話している。ただしヤギは、1匹あたり1日4リットルと、牛1頭の10分の1の量しか生産しない。また冬場は乳量が少なくなる。よって農家の決断はそう簡単ではない。
観光保養地でもあるシュヴァルツヴァルトの美しい農村景観は、森林と牧草地と点在する農家の建物の3要素で成り立っている。酪農、林業、民宿業と複合的な経営を行っている家族経営の農家は、農村景観と観光業のために欠かせない。Monte Ziego社は、ヤギチーズを生産することによって、シュヴァルツヴァルトの農業と文化、景観を維持発展することに寄与することを企業目標の一つとしている。体の小さいヤギは、牛が立てない急斜面の牧草地の「景観管理(草刈り)」もしてくれる。

手工業的なエコ製品と乳清のエネルギー利用

フレッシュチーズ
フレッシュチーズ
ハーブ入りフェタチーズ
ハーブ入りフェタチーズ

現在、12の契約ヤギ農家の合計約12,000匹のヤギから年間80万リットルのヤギミルクがチーズ工房に出荷されている。工房では、20種類以上のヤギチーズが生産され、約20人の従業員が2交代で働いている。オリーブやチリを入れたフレッシュチーズや、バーベキューで焼いて食べるフェタチーズなどが人気の商品である。工房の責任者でチーズマイスターのバルマイヤー氏に中を案内してもらった。最新設備であるが、型をひっくり返したり、チーズの上にハーブを撒いたりする作業など、きめ細かに、人の手によって行っている。「品質の高さと多品種は、手工業的な生産だからできる」と誇りをもってマイスターが話してくれた。製品は、過去数年で様々な賞を受けている。

乳清バイオガスタンク
乳清バイオガスタンク

エコ製品を製造しているこの工房であるが、製造に必要なエネルギーにおいても「エコ」を追求している。工房の屋根には最初からソーラーパネルを設置しエコ電力を生産、2014年には、製造の過程で生じる乳清(ホエー)を使ったバイオガスエネルギー装置を設置し、世界初のゼロエネルギーチーズ工房を達成した。乳清(ホエー)とは、チーズを作る際に、牛乳から乳脂肪やガゼインというチーズの原料が取り出されたあとの残りの水溶液である。多くのチーズ工房や工場では、これが廃棄物として処理されているが、高たんぱく質、低脂肪で、栄養価、エネルギー価は高く、食品、豚の餌、化粧品などとして利用されているケースもある。Monte Ziego社は、この副産物をエネルギーとして利用することに決めた。年間1,170m3のホエーから、4万8,000m3のバイオガスが生産され、それが電気出力18kW、熱出力36kWのタービンで燃やされ、工場での電気、熱源(冷蔵庫も)として使用されている。熱は自給できており、電気は足りない時間帯はエコ電力会社の電気を購入しているが、バイオガス装置が動いていて工房が生産していない夜間は余剰電力を売っているので、年間収支ではプラスになっており、だからゼロエネルギー工房である。

現在この工房は、隣の空き地に、粉ミルクを製造する工場を建設している。赤ちゃん用の健康なエコの粉ミルクとして販売される予定である。隣のスイスの販売業者からの需要に応えたものだ。現在の数倍の量のヤギミルクが必要になるが、それは、納入範囲を現在の50km圏内から300km圏内くらいに広げて対応する予定だそうだ。

EICエコナビ 連載コラム「ドイツ黒い森地方の地域創生と持続可能性」より

手押し農耕機 ー農家やガーデナーをサポートするエコでスマートな農具

ドイツの職人養成 デュアルシステム ④マイスターは現場の教師

中世のツンフト(同業者の組合)が取り仕切っていた手工業職人の養成においては、マイスター(親方)が唯一の教師であった。徒弟は、マイスターと一緒に仕事をしながら、職人試験に必要とされる技能を学んでいた。それだけでない。徒弟の多くは、修行期間中、マイスターの家族の一員として、寝食を共にしていた。マイスターは、仕事でもプライベートでも、徒弟の師匠であった。

今日においては、企業と学校が二元的に見習生(徒弟)を養成するデュアルシステムがあるが、企業で、「現場の教師」として実践的な職人養成を担当するマイスターは、依然としてドイツの職人養成の中核的な存在である。手工業会議所と国が定める職種別の「職業養成規則」に書かれている養成プランに応じて、普段の仕事のなかで、見習生に適切に課題を与え、個々人の特性と性格を見極め、的確にサポートし、見習生が自己学習能力と問題解決能力を身につけるよう促していく。相手は大半が17歳前後の難しい年頃の若者である。教育者としての資質とノウハウが必要とされる。

1800時間のマイスター養成コース

マイスターになるには、ゲツェレ(職人)の資格を取得したあと、最低2年間の職業経験を積んだのち、手工業会議所や国(州)が開催するマイスター養成コースに通い、国家試験を受け合格しなければならない。マイスターコースは、1年から1年半の集中コースや、週末メインの数年に渡るコースなどあるが、授業(講義・実習)時間は、木大工マイスターコースで合計1800時間。技術の理論と実技から経営学、組織マネージメントまで、最高峰の技術者、経営者になるための養成を受けるが、教育者としての知識とノウハウを身につける授業も120時間(5〜6週間)、しっかりと組み込まれている。

マイスター称号は誇りであり、会社の品質表示

「マイスターは空から落ちてくるものではない」という言葉があるが、素質がある優秀な職人が、相当な勉強とトレーニングをし、取得するものである。マイスターは、職人の最高資格者、経営者、教育者として、ドイツの社会では、今日でも高く評価されている。どこの会社でも、経営者や幹部職員が取得した「マイスター証書」が、目立つ場所に誇らしげに掲げてある。会社とその商品、サービスのクオリティを保証し、顧客に信頼感を与えるものであるから。

私は、日本からの視察団とドイツの会社を訪問する機会が多いが、ドイツの経営者が「私の会社には、従業員20人のうち、マイスターが3人いて、見習生が6人います」といった会社紹介をすることがよくある。それは「自分の会社の技術と経営レベルは高く、同時に若い世代の育成もしっかり行なっている健全な会社です」ということを暗に伝えている。

ドイツ政府はマイスター復権で手工業職人の増加を目指す

ドイツの手工業職は130以上あり、そのうち、会社を設立する際にマイスター称号を所有していることが法律で義務付けられている職業が41職種ある。消費者保護と安全の観点からそうされている。木大工職やパン職人などがそれに属する。2003年以前は94職種あったが、EUが目指す自由競争と価格安の政策により、当時のドイツ政府は、53職種をマイスター義務から外した。それによって建設業では、規制緩和されたタイル貼り職や内装職で、マイスター称号なしで独立する事業者が増加した。一方で、それらの職種で「仕事の品質が低下した」「見習生を受け入れられる会社が少なくなった」という意見を手工業業界からよく聞く。

ここ10年あまりで手工業職の人手不足が続いている。ドイツ政府は昨年から、一度マイスター義務を緩和した職種のいくつかを、もう一度義務化し、手工業職の知名度と品質を向上させ、見習生を増加させることを目指す政策提言している。「再び規制をかけることは経済に逆効果」という経済界の声もあるが、高い品質と人材養成を重視するドイツ手工業連盟(ZDH)は、これを歓迎している。

 ドイツの鍛治職人が一枚の鉄板から作った悦品

ドイツの職人養成 デュアルシステム ③放浪の旅

「聡明な人は、旅を通して最高の自己形成をする」

ドイツの有名な作家ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの言葉である。

ドイツの手工業職人の世界には、中世のころから続いている伝統的な風習がある。「Walz(ヴァルツ)」と呼ばれる「放浪の旅」である。職人は、ゲーテの言葉どおり、旅を通して自分の腕と心を磨く。

旅職人の伝統と規則

旅をするのは、3年間の職業養成を終了し、ゲツェル(職人)の称号を取得したものである。中世のツンフト(=同業者の組合)制度では、放浪の旅は、マイスターの試験を受けるための義務であった。現在では、放浪の旅は、職人の自由意志に基づくものであるが、主に大工や建具職人など建設業関係の職人たちが、昔からの伝統を継続している。

職人の放浪の旅には昔から、前提条件と規則がある。ゲツェルの称号を持った職人で30歳以下、未婚であること。負債や前科を持っていないこと。旅の期間は通常3年間と1日、その期間中、基本的に故郷の50km圏内に戻ってきてはいけない。移動は基本的に徒歩とヒッチハイクで、公共交通の利用は禁止ではないが、好ましくない。遠い外国に行く際の飛行機の利用は許可されている。旅の最中は、職種別にある伝統的な作業着を身につけていなければならない。大工の場合は、黒い帽子、襟のない白いシャツに黒のコードジャケットとズボン。木製の杖を持ち、それに「シャルロッテンブルガー」という身の回り品が入った巾着袋を結びつける。一般の人が、一眼で「旅職人」と認識できる装いでなければならない。というのは、彼らの移動や寝泊まりは、旅先の他人の好意に頼ることになるからである。見ず知らずの人に安心感を抱かせなければならない。「誠実」であることは、旅職人の世界では、放浪の旅という伝統を継続するための大切なことであり、そのために、負債や前科がないという前提条件を満たした職人が、伝統的な衣装を身につけ、誠実な振る舞いに心がける。放浪の旅をする職人は、通常「シャフト」と呼ばれる同友会のメンバーになる。複数の同友会があり、それぞれで、細かなルールやしきたりがある。旅をするのは伝統的には男の職人だけであったが、戦後は、女性の旅職人も許可をするシャフトもできた。

ユネスコ無形文化財に登録された「放浪の旅」

旅職人は、見しらぬ場所に行って、建設現場などに飛び込み、仕事がないか問い合わせる。または、シャフトのネットワークで、仕事を探していく。基本無償で労働を提供し、そのかわり雇い主に住まいと食事を提供してもらう(最近は報酬をもらって働く場合が多くなっている)。1箇所にどれだけいるかは、その現場の仕事量や本人の意思次第。放浪の旅の意義は、自分の生まれ故郷とは風土も文化も違う場所で、異なる技術や仕事の仕方、考え方を学んで自分の技能を高めること、そして苦労をしながら冒険的な旅をすることによって人間性を養うことである。ツンフト(=同業者の組合)で、マイスター試験を受けるための前提として放浪の旅を義務付けていた中世の時代は、親方(マイスター)が、自分の将来の競合を自分のエリアの外に追い出す、という意味合いもあったようだ。

ドイツにおける職人の放浪の旅(ヴァルツ)は、2015年、ユネスコの無形文化財に登録された。現在でも、大工を中心に、推定600人くらいの職人が、旅をして腕と心を磨いている。日本の宮大工のもとに修行にくるドイツの大工職人もいるようだ。旅をした職人は、雇い主からの評価が高い。好んで雇用される傾向がある。苦労と冒険の旅をして、知識と技術と人間性が豊かになっているので。特に地域密着で営業をしている小さな工務店では、顧客とのコミュニケーション能力、信頼関係は、大切なベースであるから。

       古材テーブル Peitho

ドイツの職人養成 デュアルシステム ②木大工職人の養成

木」の職業は人気

「今の若者の多くが、体を使う、汚れる仕事でなく、机に座ってやる仕事に就きたいと希望している」とシュヴァルツヴァルトの職業学校で木材工学を教える私の友人のシュラッター先生はいつも残念そうに話す。ドイツでは、長い間大学進学率が30%前後であったが、10年くらい前から急に上昇し、2011年以来、50%を超える数字で推移している。石大工や金属加工、左官の職の見習生の数は、ここ数年減少の一途を辿っているようだが、木大工や建具職人など、「木」に関わる職業の見習い生は、一定のレベルを保っており、手工業職の中でも人気があるようだ。

ドイツ木大工マイスター連盟の統計によると、木大工の見習い生の数は、2013年の6903人から2017年には7280人と、毎年2%前後の上昇傾向にある。雑誌や新聞などのインタビュー記事によると、「木が好きだから」「小さいころから木工が趣味で」といった、木というマテリアルに対する愛着によって、多くの見習い生がこの職業を選んでいるようだ。

自ら仕事を計画し、実行し、検査できる職人を養成

ドイツでは、早くて16歳から職業見習いとして手工業職の養成コースに進むことができる。期間は通常3年間、見習生は、自分が就きたい職業分野の企業を自ら見つけ、見習い(徒弟)契約を結び、それをもって職業学校に入学手続きをする。職業養成は、時間的には企業での実践的な訓練が6〜7割、残りが学校という配分になる(=デュアル職業養成システム)。見習い生といっても、実際に企業で労働を提供するので、一定の給料も支給される。木大工の場合は現在、1年目で平均月給が650ユーロ、2年目で900ユーロ前後、3年目になると1200ユーロ前後が相場である。

養成の枠組みと内容は、手工業職の場合、手工業会議所と国が定める職種別の「職業養成規則」に基づいている。この規則の第三条に、職業養成の「目的」が記されているが、そこで「とりわけ重要」だと明記されているのが、「自ら仕事を計画し、実行し、検査する」ことができる人材を養成することである。これは、ドイツの教育全般に共通することで、これができる「自立」した人材がブルーカラーでもホワイトカラーでも養成されていることが、ドイツの企業の高い問題解決能力、応用力、イノベーション力、労働生産性を根底で支えている。計画・実践・検査の能力は、同じ現場がひとつもない、全て個別事情の仕事をする木大工職人には、とりわけ重要なものである。

職人(ゲツェレ)になるための包括的な卒業試験

「職業養成規則」には、職業別に3年間の養成枠組みプランが書かれている。そこには、複数のテーマ(項目)があり、項目ごとに、具体的な習得内容の箇条書があり、何年目で、どのテーマにどれだけの時間を費やす、ということが具体的に明記されている。例えば、木大工の職では、最初の1年目で「雇用契約」「会社組織」「作業安全」「環境保全」「受注から計画、実践」「作業現場の準備」「資材の確保と保管」「設計図面の解釈とスケッチ」「測量」「木材加工」「断熱材の施工」「ファザード施工」など基本的な知識と技術を学び、2年目になると、「受注、仕事量の推定とプラン、工程表の作成」「資材の選択と準備保管」「基礎地盤の確認、検査」「品質管理のための作業日報の作成」といったものが加わる。3年目になると「基礎工事と外壁施工」「木材加工機械の操作とメンテナンス」「既存の構造材の維持メンテナンス」が加わり、それまで学んだことの復習と補強が行われる。

1年半目で中間試験、そして3年目の終わりに卒業試験がある。卒業試験は、8時間の実技試験と、「木構造」「建築資材」「経済・社会」の3分野の筆記試験(それぞれ60〜180分)から成り立っている。実技では、受験者は、屋根の構造材や階段の模型作成の課題が与えられ、その課題内容に応じて、自ら設計し、工程計画を立て、完成品の検査を行う。そのなかで、労働安全や作業者の健康、環境保護の側面も考慮しなければならない。組手や加工の機能性と精度など技術的側面から、労働法や環境規制を踏まえた上での複合的な仕事の計画・遂行・検査能力が試験される。この実技試験と3分野の筆記試験に合格すると、一人前の職人(ゲツェレ)としての称号がもらえ、正規の従業員として企業で働くことができる。

  シュヴァルツヴァルトの職人の手作り
       木製ロードバイク

ドイツの職人養成 デュアルシステム ①歴史と今後の行方

職人の国ドイツには、養成システムという、企業と学校で「デュアル(=二元的)」に職業人を養成する伝統的な職業養成制度がある。ドイツの高い技術力、ハイクオリティの製品、強く安定した経済力を根底で支えている制度だ。

徒弟 − 職人 − マイスター

ドイツの職人養成の起源は中世13世紀ころにある。中世都市の発展とともに、手工業が栄え、手工業者の間で、「徒弟」、「職人」、「マイスター」という3つの階級身分が成立し、マイスターが徒弟と職人を育てていた。また同時に、各都市で、同業者の組合「ツンフト」がつくられた。このツンフトが、徒弟と職人の実践的な養成の内容と枠組みを決め、徒弟が職人、職人がマイスターの称号をとるための試験を企画、実施した。

ツンフト →  イヌング →  手工業会議所

ツンフトによる手工業職の養成制度は数百年続くが、19世紀の産業革命により大規模な工業的生産が普及すると、生産性と効率、営業の自由が求められるようになり、それらに反するツンフト制度は解体されていき、1869年に法的に廃止された。しかし手工業者たちは、イヌングという新たな同業者組合の設立運動を起こし、国の理解と支援も受けるようになり、多様な業種の同業者組合イヌングを大きく取りまとめる手工業会議所という公益法人が設立される。そして1897年の手工業法によって、手工業会議所が、正式に、職人の教育と階級試験を取り仕切る機関となった。また同時並行して、職人に理論的な教育を実施する学校施設も設立され始めた。現在のデュアル養成システムという、全国統一的な国家制度となったのは、1953年の手工業条例と1969年の職業養成法の制定からである。

国際的に高い評価

経済界と国がしっかりタイアップし、教育の中身と枠組みを決め、共通の理論的ベースに実践的能力も備えた即戦力になる人材を養成するデュアルシステムは、スイス、オーストリアにもあり、国際的にも高く評価されている。欧州のなかでドイツの若者の失業率が低いことの大きな理由がこの人材養成システムにある。一方フランスでは、国の学校施設でのみの職業教育であり、現場との距離、実践経験のなさが問題視されている。また企業での実践的な教育に大きく頼るイギリスのシステムにおいては、養成される人材の知識と能力にばらつきがあることが指摘されている。国によるこれらの違いは、EU圏内での労働者の流動性ということで問題になっている。とりわけドイツの養成システムは、包括的で高レベルなため、そのレベルを落とし、EUの他の国のものに近づけるべきだ、という要請や意見もある。しかし、国と一緒に職人の教育を司るドイツの手工業会議所は、信念をもって頑固にその伝統と品質を維持しようとしている。

手工業分野の徒弟(見習生)は、3年の職業養成期間の大半の時間を、企業で、先生である親方(マイスター)のもとで過ごすので、そこで強い人間的な結びつきも生まれる。企業にとっては、将来の正規社員を育てる、見定める期間であり、優秀な見習生は、養成期間終了後にそのまま雇われることが多い。もちろん、見習生がその企業にそのまま社員として残るかどうかは当人の自由意志であるが、3年間で会社と従業員のこと、仕事の中身も知っているので、正社員への移行はスムーズである。

   職人が作った製品、職人を助ける道具

森林作業の安全③ 職業意識  – 誇りと冷静さ

森林作業士という職業は、幅広い知識と素早くフレキシブルな判断力、高度の体力と精神力を必要とし、危険で要求度の高い仕事です。しかし、ドイツでも、他の多くの国と同様に、長い間、社会的地位の低い「3K」の仕事でした。70年代に、システマティックで実践的な職業教育の制度が森林作業の分野にも導入され、自動車整備工や大工、パン職人などと同様に、国家資格がある「確固たる手工業職」になりましたが、その後も地味な職業というイメージは根強く残っていました。

しかし90年代終わりくらいから徐々に、社会的な認識が変わっていき、人気のある魅力的な職業になっていきました。それには、下記に挙げるいくつかの理由があります。

「働く人」を表に出したイメージアップ戦略

理由の一つは、森林作業の職業教育機関や団体が、イメージアップのための積極的な広報活動、社会に対するアピールを行ってきたことです。「自然の中で頭脳と体力を使う高度で責任ある魅力的な仕事」であると。森林行政の90年代始めの広報パンフレットと2000年以降のパンフレットには大きな違いがあります。前者は、「美しい自然」の写真がメインでしたが、後者では、「働く人」が表に出ています。

自然志向の若者の増加

90年代半ばから自然環境保護運動が盛んになったことも、森林作業への関心の高まりを促しています。森林作業士の職業訓練生に、なぜこの職業を選んだのか、と質問すると、「自然が好きだから」「自然の中で体を動かして働きたいから」「自然に合わせて変化がある仕事だから」という答えが返ってきます。

コーポレートアイデンティティ

そしてもう一つ、外的な要素ですが、「森林防護服」が、機能的で快適でカッコいいものになったことも、この職業の人気向上に大きく寄与しています。ユニホームは、「コーポレート・アイデンティティ」や「職業人の誇り」の形成にとって重要な要素です。

応募多数の人気の職業

ドイツでは、森林作業士という職業は、他の手工業職に比べて給料は高くはないですが、現在、定員に対して応募者が多い状況が続いています。後継者不足、人手不足の問題はありません。意識と能力の高い若者が、しっかりとした職業訓練を受けて、この職業に就いています。

ドイツの職業訓練は、2年から3年間、事業体での訓練が7割、学校が3割と、実践的な教育が、現場のマイスターがメイン講師となって行われますが、始めるには、まず訓練先の事業体と職業訓練契約を結ばなければなりません。人気がある事業体、たとえば、6000ヘクタールの市有林で、非常に模範的な混交恒続林施業を行うフライブルク市有林森林事業体には、年に2〜3人の訓練生枠に、10倍から20倍の応募があります。

ディスコで女の子に胸を張って言える職業

2010年、バーテン•ヴュルテンベルク州の森林教育訓練センターの当時校長だったエッメリッヒ氏は、日本人の視察団の前で、次のように話しました。

「森林作業士になるための職業訓練を受けている若者が、週末ディスコに行って、女の子と出会い、「何の職業を学んでいるの」と相手に聞かれたとき、「自分は森林作業士の職業訓練をやっている」と誇りをもって言えるようにならなければなりません。幸運なことにドイツでは、ここ10年くらいで、森林作業員のステイタスと意識を向上させることができました」

現在のドイツの森林作業士は、カッコいいユニフォームを着て、身体と頭をフルに使うプロのスポーツ選手、高度な機械を動かすF1レーサー、という自意識も持てるようになりました。

携帯ショップの女の子が感嘆の眼差し

数年前、ある日本の事業体の若い作業士から聞いたエピソードです。彼は、高性能の森林防護服を仲間と一緒に購入したのですが、それが届いた日、赤地に黄色の蛍光色が入った派手でカッコいい服を試着し、嬉しさのあまり、そのまま街の携帯ショップに出かけたそうです。「ショップの若い女の子は、僕を見て、目を大きく開けてビックリしていました」と嬉しそうに話してくれました。

過信や奢りなく、絶えず慎重に、冷静に

しかし一方で、過信や奢り、自惚れ、過剰な功名心は、森林作業においては禁物です。それらは重大な事故に繋がりかねません。自分だけでなく、仲間の命や健康に害をもたらすこともあります。家族や友人を不幸にすることにもなりかねません。

フライブルク市有林の熟練の森林作業マイスターは、訓練生に「我々森林作業士のポケットには絶えず「死」が入っている。それはちょっとしたことで飛び出してくる」と言っています。慎重さ、冷静さは、1秒たりとも絶やしてはいけない、と。

 安全な伐倒作業を助ける ラチェット式くさび

森林作業の安全② 森林防護服 − 安全性と快適性の両立

昔は騎士の鎧だった

チェーンソーや落下する枝による怪我や事故から身を守るのが森林防護装備の役割ですが、初期の70年代から80年代の装備は、「騎士の鎧」のようなものでした。身体を守ってくれますが、重くてかさばるものでした。

暑苦しく、動きにくい。ヘルメットも服も靴も、現在のものより遥かに重いものでした。例えば、現在のジャケットは400〜600グラムくらいですが、当時は1キロ以上。切断防止繊維が入った防護ズボンは、分厚い12層の切断防止繊維が入ったもので、3キロ以上の重さがありました。現在の防護ズボンは、プロ仕様のものは、切断防止繊維4〜6層で、軽量の生地が使用されていて、重さは1.5キロ以下です。

高性能の生地の開発

森林防護服は、2000年代に入ってから、プロ仕様のものを中心に、高度な特性を持つ様々な生地が開発されて、それらを組み合わせて軽量で快適性と機能性の高い防護服になっていきました。

高い通気性と中の水分(汗)を外に蒸発させる性能、体のよく動かす部分にはストレッチ生地、耐摩性の優れたマテリアルで肘や膝のガード、棘や灌木があたる脛や太腿の部分に強く破れにくい生地などです。

また、デザインもかなり進化しました。以前は、地味な色の冴えないデザインのだぶだぶの防護服でしたが、それが、鮮やかな色彩、洗練されたデザインで、体にフィットするスリムカットの「カッコイイ」服になっていきました。とりわけここ10 数年の進化は著しいものがあります。

軽く、快適になったことで、安全性が向上!

以前は、安全(=切断防止機能)を与えるために、機能性や快適性を諦めなければなりませんでしたが、高性能な生地やその組み合わせ技術の進化によって、同様の安全性能を保ちつつ、機能豊かで快適な作業服をつくることができるようになりました。いや、正しく表現すると、機能性と快適性の向上によって、安全性も飛躍的に向上したと言えます。

防護ズボンの切断防止性能は、森林作業における安全の一つの重要な観点ですが、それが全てではありません。怪我や事故は、作業員が疲れたとき、汗で体が濡れて冷えて動きが鈍ったとき、集中力が低下したときに起きやすくなります。軽量で機能性と快適性の高い防護服を着て作業をするということは、疲れにくい、体が冷えにくい、集中力を保ちやすい、ということです。森林作業の安全性の向上に大きく貢献します。

また、体にしっかりフィットする形状の服は、見た目の「カッコよさ」を創出するとともに、安全上非常に重要な要素でもあります

防護ズボンは「軽い」ほど、快適性が高まり、疲れにくく、安全性が上昇しますが、ここで重要なのは、秤に乗せたときの絶対重量ではなく、「体感重量」です。体にフィットした防護ズボンは、腰から脚先の様々な部分に「重さ」が分散するので、フィットしないズボン(=肌と生地の間に隙間があるゆったり目のズボン)に比べて、着ている人は遥かに軽く感じます。例えば、1.5キロのズボンでも、形状によって、1.3キロのものより軽く感じることもあります。

 

森林作業の安全① 命の尊厳

森林作業は、段違いに危険でハイレベルの労働

森林作業は、他の職業と比べて労災発生率が飛び抜けて高い労働です。日本においても、ドイツにおいても、 労災率は建設業の5倍程度、死亡事故率は約3倍あります。労災保険料金の計算の基準となる「労災保険率」も、建設業11/1000に対して、森林作業は60/1000と、リスク5倍以上に設定されています。

図: 労働災害の発生状況(森林科学78.2016.10.「特集 林業労働者の今」より)

また、絶えず変化する自然と天候を相手にする仕事で、日によって、現場によって、作業環境はいつも異なります。その場その場で、安全面、肉体的負担、林地保全、自然景観保護、経済的効率など、各種パラメーターを複合的に考慮して、作業手法や個々の動作を判断し実行して行かなければなりません。いつも同じ環境のもとで、同じ作業を繰り返す工場労働とは大きく異なります。

さらに、チェーンソー作業やワイヤー系の集材作業をする森林作業士は、1日3000から5000カロリーと、プロのスポーツ選手並みにエネルギーを消費します。

森林作業は、他の職業と比べて「段違いに危険」で、自然に関する基本的な知識、複合的にフレキシブルに考え、素早く判断し実践する力、そして体力と精神力が要求される高度な労働です。

森林防護装備は、命を守る最低限の安全措置!

工場労働においては、人間に危害をあたえる可能性のある機械には、ガードやセンサーなど、しっかりとした安全措置が施されていますが、森林作業士が使用するチェーンソーにはそれがありません。人間の肉も骨も切断できる高速回転するチェーンの刃が「むき出し」の状態。そのように非常に危険な機械を、森林作業員は、体に密接させて使用します。

しかも、作業現場は、工場のように平坦で均質な環境ではありません。傾斜、凹凸、岩や薮やぬかるみなどがあります。天気も毎日変わります。天候や場所によって、視界が悪いときも多々あります。工場労働に比べ、体力と神経をたくさん消耗する仕事で、滑る、転ぶなどして、危険なチェーンソーの刃が体にあたるリスクが絶えずつきまといます。また伐倒の際に、折れて落下する枝は、人間の頭蓋骨を簡単に割るくらいの力をもっています。

そういう段違いに危険な作業環境においては、顔面ガードと耳当てがついた蛍光色のヘルメット、蛍光色の入ったジャケット、チェーンソー切断防止機能をもつズボンと靴、という森林作業士の防護装備は、最低限やらなければならない命を守る措置です。「命の尊厳」の観点から、議論の余地はありません。

人の命と健康は、お金には換えられない!

安全な作業技術の講習とトレーニング、安全な労働条件の整備とともに、森林防護装備は、作業士の安全性を高める大切な柱の一つです。ドイツでは、30年、40年以上前に導入が始まりました。チェーンソーを使う作業に関しては、基本的にこれらの装備の着用が、労災保険によって20年以上前から義務化されています。

通常、雇い主が従業員に防護装備の費用を負担しています。例えば、フライブルク市有林事業体では、ジャケットとズボンは年に2セット、靴とヘルメットは1セット分のお金を作業員に支給しています。

人の命と健康は、本来お金で勘定してはいけないものです。

でもここで敢えて、経済論理を主軸として動いている企業経営の観点から考察してみます。森林防護装備は、上から下まで揃えると、プロ仕様のものだと、700〜800ユーロ(10〜12万円)します。質のいい背広と同じくらいの価格で、安い買い物ではありません。しかし森林作業員が、背広で働いている人に比べると遥かに危険で過酷な作業をしていること、防護装備が、労災費を軽減するということを考慮すれば、些細な投資です。

森林総研の試算(2016年)によれば、防護ズボンの切断防止機能だけとっても、防護ズボンを着用していない場合と比べ、「切れ、こすれ」の労災が6割減少します。労災コストは、防護ズボン着用しないの場合が、1人1年あたり平均20,000円のところが、防護ズボン着用した場合、8,000円に減少します。これにヘルメットや蛍光色のジャケット、防護靴の労災防止効果が加わります。

しかしここで計算の対象にされているのは労災の直接コストです。労災においては、間接コストも生じます。救助や事後調査、関係機関との調整、事後対策にかかる人件費や、人的損失、会社の信用損失による経済的ダメージです。これらの間接コストは、直接コストの数倍から、場合によっては数十倍になることもあります。

少子高齢化の時代、数年、数十年かけて蓄積される森林作業士の経験とノウハウは、企業にとって大きなかけがえのない資本です。そのような熟練の森林作業士に定年まで安全に健康に働いてもらうことは、企業の経営にとって大きなプラスです。

でもこのような経済的な考察以前に重要なことは「人の命の尊厳」です。安全には一切の妥協もゆるさない姿勢が必要です。